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日本の城講座・三浦正幸先生に学ぶ~マチコの知らない【苗木城とマチュピチュの石垣】


今回は人間というのはなんと可愛らしくて、いじらしいのかという話を石垣の視点から攻めてみたいと思います。


もちろん解説してくださったのは三浦正幸先生です。

マチコはNHKカルチャーの他にも中日文化センターでも毎月三浦先生のお城講座を受講しています。今回も講座で学んだ面白い話をブログにまとめていこうと思います☆


こちらは苗木城ではありませんが、垂井町の竹中家の陣屋です。途中で出てきますよ♪どうしてでしょう・・・



竹中家陣屋跡。立派な2階建て櫓門。そして鎧櫃リュックもついでに宣伝しちゃおう♪

凸巨石で有名【苗木城】

苗木城というのは岐阜県中津川市にある山城で、何と言っても巨石で有名です。

巨石といえば大阪城にだってあるじゃないの?と思われるかもしれませんが、こちらは山城ですから。。


と言っても大阪城の様に別の場所から運んできたのではなく、もともとあった巨石をうまい具合に使っているわけですけどね^^

5メートルの高さの巨石がドーン!!と大迫力ですね。


絶対に人の手で持ち上がらない巨石!


凸岐阜県は例外が多い?!

三浦先生曰く岐阜県というのは例外的な城が多いと。


その理由は・・・・


中世から城主がずっと変わらなかったこと。


普通は城主は結構コロコロ変わります。

例えば地元の岐阜城でしたら、簡単に書きますと斎藤道三→織田信長→池田輝政→織田秀信というようにどんどん変わっています。

しかし苗木城は遠山家(テレビドラマの遠山の金さんとは遠い親戚だそうです)が代々城主でした。こんなことはごくごく稀で、日本で遠山家以外に、ずっと同じ城主であり続けたのは島津家のみだそうです。

とはいえ遠山家はたった、たったの一万石なので島津家とは比較するのもおかしいくらいです。


また例外ついでにもう一つ別の例外もご紹介します!


我らが竹中半兵衛。垂井町のスーパースターですが、竹中家は六千万石であり、陣屋大名でした。通常陣屋大名というのは御殿のみであり、櫓や櫓門は無しと決まっています。

ところが竹中家の陣屋跡に行ってみると、なんと2階建ての櫓門がドーンと鎮座しているではないですか!!

はっきり言ってこれは例外中の例外だとのことでした。(※1枚目の写真参照)

マチコは何回か陣屋に行ったりしていましたが、そんなこととはつゆ知らず。今はこの門と池ほどの大きさの水堀だけが残っています。垂井町に来られた際は是非訪れてください♪


脱線しましたが、話を苗木城に戻しましょう。


先ほど遠山家というのは一万石と言いましたが、城持ちになれるのは本当は三万石以上の大名に限られていました。ましてや天守となると十万石ないと持てなかったそうです。私の実家がある大垣は十万石でちゃんと天守もあります。

1615年に有名な武家諸法度が発令され、お城を勝手に補修したりすることができなくなりました。その武家諸法度を巧みにかいくぐって、遠山家は十万石を超えるほどの立派なお城をチクチクと造った。何と言っても櫓門が4つに二十櫓も4つ!一万石にしては確かに立派過ぎるとさすがのマチコでもなんとなく感じました。



凸どうやって武家諸法度に触れずにお城を修復していくことができたのか?

下の絵図を見て頂くと、大櫓(御鳩部屋)と書いてありますね。

これはどう見ても櫓なのですが、「鳩部屋です!!」と言い張った形跡が大ありなんです。


ヘンテコリン!!狭間のような鳩の出入り口

その証拠に狭間にしてはあまりにも不自然な丸と四角の穴ぼこが櫓の壁のあちこちに開けてあります。

こんな狭間は見たことがないと思います。変過ぎです笑


これは鳩の出入り口だ!と言うためのもので、あくまでも鳩部屋であることを前面に押し出しています。なんとこれは「世界最大の鳩部屋」に当たるそうです。


日本で現存している鳩小屋はもう一つ。広島県尾道にある【浄土寺】にあるものが日本最古。こちらの長屋は重要文化財指定です。


浄土寺について調べてみたら驚きでした。なんとお寺なのに江戸時代禁止されていた伝書鳩を飼っていたそうで、しかもその理由が大阪の相場情報を得るためだったとか。その相場情報を活かして北前船の売買で富を得ていたとのことです。


浄土寺と苗木城、異なる理由で鳩が巧妙に利用されていたのですね。鳩さん。。。平和の象徴。



凸三浦先生からのワンポイントアドバイス!

もし苗木城に行かれたら是非ともチェックして欲しい箇所が2か所あります。※巨石はもちろんですが。。。





① 懸け造り(上の図の左右2枚)※懸け造りとは清水寺の舞台のような建築物です。

日本に4つしかない懸け造りが岐阜県に2つもあるのは驚きで、もしかしたら岐阜が懸け造りの発祥地かもしれないと三浦先生は笑っていらっしゃいました。


だけど、ちょっと考えてみて欲しいのですが、懸け造りは木造ですので、そこに外の敵は簡単に火を放つことができてしまいます。三浦先生「ナンデこんなことしたの?」とあきれ顔でした。確かに火をつけられたら終わりですね。


② 溜池(1枚目の絵図の左上あたり北門のすぐそば)

現存していて、非常に立派な溜池だそうです。

日本で3番目に素晴らしい。石垣でできているとのことです。ここは要チェックですよ!



凸日本の本当のマチュピチュ【苗木城】

まだまだ他にもつっこみどころ満載の苗木城ですが、長くなって書ききれませんので、今日のテーマであるマチュピチュと苗木城について触れて終わりたいと思います。


さてどっちがどっち?


三浦先生は兵庫県の竹田城が“日本のマチュピチュ”だと言われてきていますが、本当のそれは苗木城だと。

先生が実際にマチュピチュに行かれ撮影された写真(上)をキャプションなしで苗木城と並べるとどっちが苗木城でどっちがマチュピチュか全くわからないのであーる。笑


皆さんも一度答えを見ずにどちらがどっちか想像してみてください。※答えは一番下に置いておきます


特に今回私がキュンとしずにいられなかったのが巨石の石垣の使い方です。

巨石はもともとあったものを利用しているだけのことなのに、(到底持ち上げられないサイズ)巨石の下の空間にチマチマと石垣をはめ込んで見せて、「これ。ここにもとからあったんじゃないからねー。うちらーが石垣作ったんだもんね~~♪」と言わんばかりのこさえた感がありありと感じられるのです。

(※2枚目の写真の右下と5枚目の写真の右下の石垣に注目!!ほぼ同じ作りです 笑) 答えがバレる


それがなんと苗木城とマチュピチュの両方に発見されました。えーーー?!日本人と遠く離れたインカ帝国の人が同じ発想で石垣を巨石の下に詰めた?笑 こんな面白いことってありますか?!今回一番マチコが感動したのはまさにここ。


遠い昔のペルー人に急に親近感を覚えました。人間って超可愛いぞ!!

ということで苗木城についてはこれにておしまい。岐阜県の中津川にあります。是非行って下さい。私ももちろん行きたい!!



凸追加情報です

今回の大河ドラマ【鎌倉殿の13人】では城はほっとんど出てこないそうです。お城ファンとしては物足りないと感じるかもしれませんが、そういう方々に朗報です。

来年の【どうする家康】ではビックリするほどリアルなお城がいっぱい出てくるそうですよ!

是非是非お楽しみに♪

しかし【鎌倉殿の13人】面白すぎるーーー。



写真の答え:

上段 (左)苗(右)マ

中断 (左)苗(右)マ

下段 (左)マ(右)マ


いかがでしたか? 笑


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